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MORNING TALK

朝の心

幸福への道

2007.07.11
朝の心

戦争や天災などで自分たちの幸福が壊れた時に、幸福な社会を築く方法を人々に教える人が世界各地に現れました。
古代中国では国の均衡が破られ、戦争に明け暮れた時代に、諸子百家と呼ばれる多くの学者や実務家が現れました。紀元前8世紀から2世紀のことです。
「人間は善い者である。」ことが前提になっており、よい社会を築くためには「互いに愛することだ」と主張します。またある学者は、上下の隔てなく、区別や差別なく広く互いに愛することを主張しました。そして、人の命の尊さを主張し、戦争のむなしさを説いたのです。
別の学者は、人との争いを避けることを主張し、どのように生きればよいかを示唆しました。何よりも徳を持った素晴らしい人物、天の命令を知る者こそが、国を治めれば平和になると考えました。このように、それぞれが平和な社会を取り戻すことを願ったのです。
西洋では、中国に遅れること300年。国の礎が揺らぎ、社会が混乱し始めたとき、平和な社会を築く方法を考える学者が生まれました。彼らもまた人間社会の中で一番大切なことは「互いに愛し合うこと」「争いを避けること」を主張しています。彼らがよりどころとしていた宗教には、そういう意味の教えはありませんでした。物事の真理を深く探求するものが、平和な社会を維持できると考えました。
中近東では、大国に支配された小さな国で、平和に生きるすべを教える人が生まれました。かつて彼らは大国に国をつぶされ、奴隷生活を強いられたことがありました。そして今同じように「生きる」ことの意味が失われた時を迎えたのです。平和に生きるすべを教える人は「生きる」意味をも教えました。彼もまた「互いに愛し合う」ことを主張し、「争い」を避けることを教えました。何よりも天の父の意向だと伝えました。天の父の意向に従うことが「生きる」ことにつながり、「新たな命に生きること」だと教えました。
どの時代でも、どんな国でも、平和な社会を築くことや幸福に生きる方法は変わらないものです。
さて、今の時代、これらの先人たちの教えをどう思っているのでしょうか。戦乱や争いに巻き込まれ、大国のエゴの中で生きている人たちに対して、権力や権威で治めようとすることは天の命に反することであり、天の父の意向に反することです。
なぜ、根本的なことが見失われたのでしょうか。それは自分の利益を優先させているからです。相手の利益を考えた行動が「わたし」も「あなた」も幸福に生きることではないでしょうか。

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