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MORNING TALK

朝の心

しあわせ

2010.05.14
朝の心

生きることを楽器の演奏にたとえるならば、これを上手に演奏できることが人生の目標ということになります。そして自分が奏でる妙なる調べに酔うことが、幸せというものかもしれません。この時、大切なことは自分の演奏技術であって、楽器の良し悪しではありません。
人間関係を含めて、境遇や環境とは楽器に相当します。粗末な楽器で楽しい音楽を奏でる人もいれば、高価な楽器を与えられながら下手な演奏しか出来ない人もいます。もちろん、楽しい心地よい音楽を奏でる人が「幸せな人」ということになります。
安い楽器を持って、美しい音楽を作り出している人は、それ自体が幸福であると言えるでしょう。その調べに魅せられて人が集まってきます。周囲の人たちが親切にしたくなるのは、その人の音楽が美しいからです。つまり人からの恵みという「しあわせ」は実はその人自信が呼び込んだものと言えます。
高価な楽器に頼りすぎて、練習もおろそかになり、美しい演奏ができないために、人が遠ざかってしまうのは自分自身に問題があるのです。
ドン・ボスコやマザーテレサ、様々な分野の創業者達の演奏は、粗末な楽器を与えられながらも美しい調べを奏で、多くの人が集まり、その演奏を聞きほれているという演奏会でしょうか。
逆境がありがたいのは、粗末な楽器でもって、演奏の腕を身につけることが出来るところにあります。その腕前は粗末な楽器を最上の楽器に変身させてしまいます。どのような楽器を奏でても最上のものに変えられる力を持っているのです。
逆に、腕の拙さと怠惰を棚に上げて「こんな楽器では・・」と不平を述べている人こそ、不幸な人といえるでしょう。

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