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MORNING TALK

朝の心

「できごと」は「ことば」

2012.10.24
朝の心

「わたしは道であり,真理であり,命である。」ヨハネ福音書の有名な一節です。しかし,日本人の感性には,ちょっと難しい言葉でもあります。岩手県気仙地方に住む山浦玄嗣(はるつぐ)さんは,医者として働くかたわら地元の方言であるケセン語やギリシア語を研究し,聖書をギリシア語からケセン語に翻訳して出版し話題になりました。その方は,最初に紹介した言葉を,本来のギリシア語では次のような意味だと言います。「わたしは道であり」は「私は,人を本当の幸せに導く。」,「真理であり」は,「私は,人が本当に幸せになるなり方を教える。」,そして「命である」は,「私は,人を幸せに活き活き生かす」と。
 しかし,気仙地方は昨年の東日本大震災で大きな被害を受けました。被災当初は,誰一人不平をもらすことなく助け合い励まし合って生きていましたが,しばらくして被災直後の高ぶった気分が静まると,人々の心は次第に沈んでいきました。仕事を失った人たちが,生きるために次々とふるさとを出て行きました。変わり果てたふるさとで心を病んでしまう人も増え,絶望して瓦礫の海に身を投げる人もいました。そんな深い絶望のなか,イエスはどうやって人を本当の幸せに導き,人を幸せに活き活き生かすというのでしょうか。
被災者の一人でもある山浦先生は,次のようにイエスの言葉を想像しています。「目をつぶるな。どんなに悲惨なありさまが見えようとも,現実から目をそらすな。この俺がついてるんだ。・・・わたしの話していたヘブライ語では「ことば」と「できごと」はどちらも「ダーヴァール」と言って,区別がないのだよ。お前の身の回りに起きている「できごと」は,すなわち神の「ことば」なのだ。耳をすましてその「ことば」を聞け。そうすれば,この「できごと」を通じて神さまがお前に語りかけている「ことば」が聞こえてくるはずだ。そして,その「ことば」に従えば,人間として本当に喜び輝く光の道が見え,お前は幸せに活き活きと生きる」と。「できごと」のなかに神の「ことば」を探す。難しいことですが,その態度こそが,活き活きとした本当の幸せにつながるのでしょう。

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