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MORNING TALK

朝の心

いただく

2014.09.12
朝の心

 高校校舎の南側に今、たくさんの銀杏が落ちています。拾い始めて、もうバケツ6杯分を越えました。臭いが独特なので、好きになれない人も多いかもしれません。では、あの強烈な臭いの実が、どのようにして美味しい銀杏になるのか知っていますか?
まず、拾った実を2、3日水につけ、ふやかして皮をむき、中にある固い種だけを取り出します。この時あの臭いが染み付き、時には手がかぶれることもある、大変な作業です。それから種を天日に干し、固い殻を割って中の実を取り出します。綺麗な深緑色の、つややかな実です。茶碗蒸しに入れたり、串に刺して焼いたりして食べます。爽やかな秋の訪れを感じる、豊かな風味です。

食べ物というのは、そうやって手間暇をかけて私たちの食卓に出てくるのです。つまり食べ物一つひとつには、育て、収穫し、料理する人間が必ず関わっています。
私自身子どもの頃、厳しく躾けられたことの一つが「ご飯粒を一つも残すな」ということでした。「この一粒の米は、多くの人の手によって作られている。感謝を忘れるな」という教えでした。これは、食べ物を大切にできない者は、人を大切にできない、という意味につながります。

 先日の朝日新聞「天声人語」に、次のような文章がありました。
「いただくという言葉は本来、ものを両手で頭にのせることだった。それが、ものを敬い、大切に扱う意味になり、食うの謙譲語になった。『いただきます』。食卓でのひと言が持つ深い意味をかみしめたい」(2014.9.5)。

 秋は、「食べ物の秋」と表現されます。食卓に豊かな秋の実りが並ぶこの時期、米一粒でさえも多くの人の手間と汗からできていることを再確認し、どんな食べ物にも感謝の気持ちを忘れない心で「いただく」ようにしたいものです。


写真
写真は華道同好会
古川亜里朱 さん(3−D)の作品

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