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MORNING TALK

朝の心

「ない」から「ある」世界へ

2017.12.06
朝の心

 障がい者の問題に取り組まれているある方が、次のように書いていました」(「カリタスジャパン」1999年4月no.171参照)。

「ハンディキャップという言葉がありますが、ハンディキャップは体の不自由な人のために有利な条件を与えるためのものだと思われています。健常な人と同じ水準にするために有利な条件を与えるそれをハンディキャップと言っています。しかしそれは違うと思います。ハンディキャップは健常な人が体の不自由な人の世界を理解出来ないから、それを知るためのものです。健常な人が体の不自由な人が住んでいる世界に追い付いてゆかなければならないのです。 

見えない、聞こえない、話せない、歩けない、そして持っていないという「ない」の世界に対する鈍さを突きつけられている感じがしました。健康で、不自由ない暮らしを毎日当たり前のように送っている私たちは、「ない」ことに対してつい苛立ってしまいます。欲しいものが手に入ら「ない」、期待していた評価が得られ「ない」、努力したのにうまくいなか「ない」など、「ない」という現実を前にすると、焦る自分、怖がっている自分がいることに気づかされます。

しかし、先ほどのハンディキャップの話のように「ない」世界を通して見ると、実は本当の「ある」世界、本来の「あり方」が見えてくるのではないでしょうか。例えば健康を損ねた時、特殊な運動能力なんて望まないからとにかく普通に体を動かせるように願い、いのちの尊さを思うことでしょう。大切な人をなくした時、富や名誉や地位などなくても、ただそばに居てくれるだけでいいと思うでしょう。壁にぶつかって道が見えない時、それまでは考えてもみなかった発想や出会い、そして光があることに気付くでしょう。

「ない」世界を体験することは、見えていなかった世界、聞こえていなかった世界、知ることができなかった世界を自分の中に見いだし広げるチャンスなのです。それに気付いた時、私たちは初めて本当の「ある」世界、本来の「あり方」を悟るのではないでしょうか。そうして私たちは新たに生まれ、新たないのちを生きることができるのだと思います。

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