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MORNING TALK

朝の心

引き際

2018.06.07
朝の心

今年の高校総体も終盤を迎えています。

見事タイトルを取ったり、上位大会にコマを進めた皆さん、おめでとう。タイトルには及ばなかったけど、全力を出し切れたという皆さん、おつかれさま。悔しさに涙を飲んだ皆さん、よく頑張りました。全力で応援に行きましたという皆さん、ありがとう。それぞれにドラマがあったことでしょう。

まだ競技の余韻の残る中ではありますが、ちょっと先の話をしたいと思います。

あることに取り組み始めると、必ずどこかで終わりを迎えます。スポーツでも習い事でもそうかもしれません。つまり「引退」です。引退の中にも、その時が決められているものもあれば、自分で決めなければならないものもあります。人によっては引退したにもかかわらず、どうしてもと頼まれて復帰する人もいますが、それでもどこかで身を引く時が来るわけです。それを「引き際」といいます。

人は活躍して功績をあげている時はもちろんですが、引き際によっても評価が大きく変わるものです。「老子」という人は「功遂げて身退くは、天の道なり」、つまり「仕事をやり遂げたらさっさと引退する。それが天の道である」とまで言っています。

イエス・キリストの引き際も見事なものでした。教えを宣べ伝え、たくさんの弟子たちを育て、十字架にかけられて死んでも3日目に復活したイエスは、その後40日ほど弟子たちと一緒にいて、心に火をつけるほど教えを伝え、「わたしは世の終わりまであなたたちと共にいるよ」と言い残して、あっさりと天の御父のもとに昇っていきました。

競技を終えた皆さんもしばらくしたら引退を迎えます。皆さんはどのような「引き際」を後輩たちに見せることができるでしょうか。わたしとしては、たとえ競技を終え、部を後にしたとしても、後輩のことを気にかけながらも、次の自分の目標に向かって一生懸命に頑張る姿を見せ続けてほしいと思います。気合の抜けた残念な先輩の姿を見るのは、後輩としてもつらいものです。「終わりよければすべて良し。」この学校にいる最後の瞬間まで全力で駆け抜け、その場を気持ちよく後にできる先輩たちであってほしいと思います。それが最高の「引き際」の見せ方ではないでしょうか。

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