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MORNING TALK

朝の心

恵みの賜物は罪とは比較になりません

2019.12.26
朝の心

 私たちは弱い存在です。目標を立てても実行できなかったり、たびたび誘惑に負けたり、つい余計なことを言ってしまったりします。自分の弱さを痛感するたびに自己嫌悪に陥り、場合によっては自己存在を否定したくなるような時だってあるかもしれません。

 聖書には「恵みの賜物は罪とは比較になりません」(ロマ5・15)という言葉があります。たとえどんなに弱い私であったとしても、想像もできないほどのとてつもない大きな恵みで満たされる、という意味です。どんなに辛く悲しく、悔しいことがあったとしても、それ以上の測り知れない恵みと助けがあるということです。海辺で作った砂の作品は、波が押し寄せて来ると崩れてしまいます。翌朝あらためて見に行くと形がまったく残っておらず、砂浜は美しく綺麗な岸辺に戻っています。恵みと助けは、私たちをこの海の波のように常に恵みで心を満たしてくれるものなのです。

 クリスマスは、この「恵みの賜物は罪とは比較になりません」の言葉を具体的に表してくださったことを思い起こす日です。それはご自分の最も大切な存在、つまり独り子イエス・キリストをお与えになるほどです。

フランシスコ教皇は私たちに勧めます。「完全でもなく、純粋でも洗練されてもいなくても、愛をかけるに値しないと思ったとしても、まるごとすべてを受け入れるのです。障害をもつ人や弱い人は、愛するに値しないのですか。よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか。イエスは、重い皮膚病の人、目の見えない人、からだの不自由な人を抱きしめました。ファリサイ派の人や罪人をその腕で包んでくださいました。十字架にかけられた盗人すらも腕に抱き、ご自分を十字架刑に処した人々さえもゆるされたのです」(東京ドーム2019年11月25日)。

クリスマスは、幼子イエスを通して神の限りない恵みと憐れみに心を向ける時です。それゆえに「おめでとう」と互いに言い合います。この時こそが、まさに喜びの時であり、祝いの時なのです。

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