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MORNING TALK

朝の心

失敗を笑う

2021.09.19
朝の心

先日、少し気温が落ち着いて気持ちよさそうだったので、海岸に散歩に出かけました。しばらく歩いていくと、幅2メートルくらいの小川が流れていて、飛び石のようにブロックが置かれていました。ピョンピョンと飛べば問題なく向こう岸に渡れそうだったので、はじめの一歩を小川の中の石に進めたと思ったら、なぜかその足は水の中に...。「うおー!」という声とともに川の中にボチャンと落ち、下半身ずぶ濡れになりながら向こう岸に辿り着きました。しかし、すぐに「こんな格好で、どうやって帰ろうか」と恥ずかしい気持ちが心の中を占めました。幸い、その現場を目撃していた人はいませんでしたが、私はなるべく人目に付かないように車まで戻ったのでした。

皆さんは、自分の失敗を笑える人ですか?やっぱり失敗はしたくないものですよね。何より恥ずかしい。でも、失敗は本当に恥ずかしいものなのでしょうか。

漫画「スヌーピーとチャーリー・ブラウン」に次のような一節があります。ライナス君が公園に行ったら輪投げをやっていた子供を見かけました。そこでチャーリー・ブラウンに「おもしろそうだから、僕らもやってみない?」と誘うとチャーリーは頬杖をついて答えます。「また負けるモトが増えるだけだよ・・・。」

負けること、失敗することを極端に避けようとすると、実はチャレンジすることもなくなってしまいます。チャレンジしないと自分の可能性までも閉じてしまうことに、私たちはなかなか気づけません。

さて、皆さんは人が間違えたり失敗したりした時、どんな反応をしていますか?授業中、先生からされた質問にやる気を出して大真面目に答えたら、それをみんなにからかわれ、「お前、馬鹿じゃないの」と笑われて傷ついた経験を持っている人はいませんか。もしそうなってしまったら、次から笑われることを恐れて、発言したくなくなるかもしれませんね。つまりチャレンジを恐れて、避けるようになってしまうかもしれない。それはチャーリーと同じで、あまりにもったいないことです。

未熟な学生である皆さんは「失敗すること」から学ぶのが大事なのです。先生たちは、なぜ失敗したのかに気づかせて、次は成功できるように励ますのが仕事なのです。先生たちだっていろんな失敗をしていたのですから。

もちろん、ふざけて起こした失敗は叱られて然るべきです。でも、一生懸命に頑張っても起こしてしまった失敗は成功への大きな材料になります。

「先生、それでも失敗するのは恥ずかしいです」という声が聞こえてきそうですね。それでは失敗した時にはどうしたらいいか。その時は自分で笑いましょう。「あーあ、やっちゃった。俺もばかだね。ま、こんなこともある。次はなんとかなるさ。」

聖書には「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることはない」とありますが、これは「僕はもうダメだ!」というように自分自身についても裁いてはならないと言っているのかもしれませんね。

互いの失敗を受け入れつつ、明日の成長に希望を抱きながら、日々チャレンジしていく逞しい学院生であってください。

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