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MORNING TALK

朝の心

教科書にない歴史にふれて

2022.02.19
朝の心

私は以前、パプア・ニューギニアという国のジャングルの中で生活しながらそこにあるドン・ボスコの学校で働いていました。学校には寮があったので、教員としてだけではなく、寮監としても働いており、平日も週末も朝から晩まで、また、寝ている間も常に生徒たちと一緒に過ごしていました。そのような役割でしたので基本的には外に出ず、学校の敷地内で過ごしていたのですが、時々、ちょっとした用事や教会でのミサのためにいくつかの村に行くことがありました。

 ある日曜日、まだそれまで行ったことのなかったRamareという村にミサのために行くことになりました。正直、私は戸惑いました。このRamareには第二次世界大戦中に日本軍による強制収容所があったということを以前、生徒たちから聞いていたからです。

 戦時中における強制収容所というのは一般的に情報漏洩やスパイ活動を防ぐために国内にいる敵の外国人を集めて強制的に収容するための施設のことをいいます。歴史を見てみると、収容された人々は生きるために必要なものを十分に与えられず酷い扱いを受けながら亡くなる人も多くいました。また、このRamareには外国人だけでなく現地の村人たちも収容されていたと聞いていたので日本人の私が行くことでどういった態度をとられるかとても不安でした。

 しかしその不安は瞬く間に払拭されました。教会に集まった人たちに日本人であることを伝えると皆とても喜んでくれ、いつの間にかたくさんの人が集まって色んな話を聞かせてくれました。聞いて驚いたのはこの強制収容所は情報漏洩やスパイ活動を防ぐために人々が集められた場所ではなく、外国人の神父様やシスター、現地の村人たちを戦争から守るために日本軍によって作られたもので、そこでは日本人兵士と村人は食料を分けて助け合い、一緒に遊び、家族のように過ごしていたということです。若い世代はおじいちゃんから教わったといい「もしもしかめよ」のような童謡を何曲も歌っており、中には日本人の名前を名付けられた女性もいて本当に親密な関係にあったことを知りました。そこには歴史の教科書には載っていない事実がありました。その村には現在大きな教会が建っており、日曜日にはミサのために来る人たちでいっぱいになります。

 学校の教科書で学ぶことはとても大切です。そこで得る知識や考える力は人生をよく生きるための基盤になります。しかし教科書では学べないことも世の中には多くあります。実際に現地に行って自分の目で見たこと、耳で聞いたこと、肌で感じたことは経験として残り、自分の視野を広げ、価値観を変えてくれます。教科書で学ぶ知識と教科書では学べない経験の両方を伸ばすことで、自分自身の哲学を形成し、育み、自分の考えをしっかり持った良い人生を送ることができると思います。コロナ渦で難しい状況ではありますが、「いつか自分も」という明るい展望をもって日々の勉強を頑張っていけたらいいですね。

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