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MORNING TALK

朝の心

修行の先に

2016.06.17
朝の心

皆さん、おはようございます。
今年度、私は中学2年生のトイレ掃除の係をしています。掃除をしている生徒たちを見ていて感心するのは、彼らがあまり嫌なことを言わず、私から言われたように便器を雑巾で拭いて汚れを落としてくれることです。中には、誰から言われるまでもなく自然に、隅々まできれいに拭きあげてくれる生徒もいます。このような自然に出てくるしぐさや態度、言葉遣いなどは、意識してできるものではありません。思わず、または苦労せずに行動に移せるのは、恐らく、ご家庭でのしつけやこれまでに相当の苦労をして身につけてきたからだと言えます。
「修行」という言葉が私たちの日常で聞かれなくなって久しくなります。しかし、人間の一生は修行の道でもあるとも言います。
「修行」というのは、何の意味も見いだせないような、または、何の得にもならないようなことも、一つの信念のもとに繰り返し行うことによって積まれていくもので、それがいつしか、その人の身に備わった美しさを作り上げていくものだそうです。
「『何のために』が分からなければ、なかなか実行に移さないのが現代。でも修行であるなら、そんなのは分からなくても雑巾を手に持って言われたとおりに拭くしかない。拭きながら、やっている中で見つけるしかない。雑巾を持っている人間だけが前へ進める。
本人はやらされてると思っている。そう思っているうちは何も分からないが、そこから気づいた人間は自分で雑巾を持つようになる。」これは、東大出身の禅僧、古川周賢さんの言葉です。(NHK『スウィッチインタビュー』2016年5月7日放送分より)
何でこんなふうに掃除をしなきゃならないんだ、何でこんな勉強をしなきゃならないんだ。そう思うことも多々あることでしょう。「何のために」が分からないことの繰り返し。しかし、それを通り抜けた者しか到達できない境地、得ることの出来ない美しさがあるのです。
ちょっと観念的な話になりましたが、意味を見いだせないことに出会った時に、思い出してくれると嬉しいです。

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