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MORNING TALK

朝の心

ファビング

2018.03.12
朝の心

「近ごろ、英語圏でファビングという新しい言葉が広まり、辞書にも収められた」という記事を読みました。ファビングとは、フォン「=電話」とスナビング「=無視」を合成した言葉だそうです。スマートフォンやタブレットを見たりメールに返信したりして、目の前の人を無視する行為を意味します(2017年11月17日「天声人語」参照)。

昨年起こった横綱日馬富士による傷害事件は、後輩力士のファビングが引き金だったようです。もちろん暴力は許されませんが、人が話をしているのにスマホを取り出したり、遮ったりする行為は気持ちのよいものではありません。時々、卒業生が校長室に訪れます。それはそれで嬉しいことですが、話をしているのにずうっとスマホをいじっていたり、誰かに返信したりすることが見受けられます。人と会話しながらよくそんなことができるなぁとその器用さに感心すると同時に、目の前の相手の存在を二の次にしている失礼な行為だとも私は思っています。

プチ自慢になりますが、20代の頃、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世と直接お会いする機会があり、言葉を交わしたことがありました。法王は一人ひとりの目をしっかり見つめ、挨拶だけでなく、短くとも一人ひとりに言葉をかけていたのが印象的でした。どこの誰とも知らない青二才の私にも、「どこから来たのか」とか「日本には行ったことがある。すごく雪が降っていたよ」などと、わずかな間にしっかり手を握りながら話しかけてくださったことに感動したのを今でもはっきりと覚えています。

マザー・テレサも同じです。彼女は道端で最も助けを必要としている人を助けます。相手の手をしっかりと握り、薬を与え、名前を聞き、宗教を聞く、ただその繰り返しでした。それは合理的でも効率的でもありません。ただ目の前にいる最も弱い人のために、時間もお金も労力も全力で捧げるだけでした。

皆さんはどうでしょうか。目の前にいる人、傍らにいる人と、どういう関わり方をいつもしているでしょうか。

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