MENU

閉じる

閉じる

MORNING TALK

朝の心

一つのからだ、共同体として

2021.06.16
朝の心

フランス舞台の傑作に「コーラス」というものがあるそうです。2004年に映画化もされています。時は第二次世界大戦後まもなく、孤児や問題児を集めた男子寄宿舎に元音楽教師のマチューが舎監としてやってきました。問題児たちから散々な目にあっていたマチューは何とか教育の糸口を作ろうと、寄宿生全員で聖歌隊をつくり生徒たちに歌を教えることを思いつきます。マチューのあたたかい指導のおかげで生徒たちは次第に真面目に合唱に取り組むようになっていきました。しかし、一人の男の子だけ、なかなか練習に来ませんでした。その少年は自分が全く歌えないのでマチューが自分を迷惑がるのではないかと考えていたのです。

そのことを打ち明けた少年にマチューは言いました。「私が君を一人廊下に立たせるだって?ありえない!私には君が必要だ。私のためにこの楽譜をもってそこに立ってくれないか?」そしてその子を聖歌隊の中に招き入れたのです。

もちろん、その男の子がどのように歌に参加したかと言いえば、口パクです。でも笑顔いっぱいで聖歌隊の一員となり、その子なりの方法で合唱に参加したのです。

聖パウロは手紙のなかで私たちの共同体を多くの部分から成り立つ一つの体に例えています。神が調和よく体を形作ってくださったので、目が手に向かって「お前はいらない」とはいえないし、「体のうちでほかよりも弱いと見える部分が、むしろずっと必要」(1コリ12:22)なのだ、と。「もし、体の一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分がほめたたえられればすべての部分もともに喜びます」(同26)とも書いています。

スポーツなど勝負の世界では、一番強いメンバーで臨んだり、相手の一番弱いところを突いたりしますが、それは決して卑怯なことではありません。しかし、もっと大きな世界において、私たちが人間として大切にしなければならないことは、弱い人を切り捨てるのではなく、皆で同じ体を形作っている仲間として、ともに苦しみ、ともに喜び、ともに幸せに生きていく方法を考えていくことなのです。

閉じる