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MORNING TALK

朝の心

命のつながり

2007.09.12
朝の心

 新約聖書を手にする人の多くは、最初のマタイ福音書に戸惑いを覚えます。アブラハムから始まるイエスの系図が掲載されているからです。マタイ福音書を書いた作者は、アブラハムから始まる系図を勝手に作ったわけではありません。彼らの時代にまで伝えられた伝承に基づいています。
 ルカの福音書にはイエスから始まってアダムまでさかのぼって行く系図が掲載されています。それぞれ作者は異なります。またつくられた時代も違いますが、彼らの考え方の土台には旧約聖書があることが分かります。相当よく読みこなしていたのでしょう。自分たちの考えを伝えるために、旧約聖書に描かれている系図をマタイもルカも手直ししています。
それぞれの系図に共通していることは、人間の歴史に神様が深くかかわっていることです。神様が与えられた命は、その命を受継ぐ者が次の命を伝えていくのです。命が尽きる時まで、様々なドラマが生み出されました。良い行いもありましたが、悪いこともしました。自分の怠慢から相手を憎み、誰かの生きる権利を奪ってしまうこと、自分の権威や権利を主張するあまり誰かの権利を奪ってしまうことなどをして、神様から離れてしまうことです。
しかし、どちらの系図も人間の思惑を超えて、救い主イエスと結びついています。そのイエスと多くの人間の命が繋がっていくのです。
 さてルカの系図と違ってマタイの系図には、命のつながりがはっきり見えてきます。「アブラハムはイサクを、イサクはヤコブとエサウを・・」という表現を使い、命の伝達を表現しています。彼らの文化は私たちの文化に似て、命のつながりを名前の中に呼び込みます。だれそれの子という風に名前の中に命の連鎖が見られます。中には一族の繁栄を高めた名前をつけることによって、その子供に力を与えることもあります。命が尽きたとしても名前の中に、心の中に、命は宿ります。決して一人ぼっちではなく、命を持っている限り、その命を与えたものと共に、私たちはいるのです。
その命を育て、次の命へとつなげていくのが私たちの務めです。

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