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MORNING TALK

朝の心

伊東マンショ

2012.11.09
朝の心

 今年は伊東マンショが亡くなって400年にあたる年です。校内に貼られたポスターや新聞などの宣伝ではよく見かけますが、実際マンショがどのような人物なのか、詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。実は彼は、波乱に満ちた生涯を送りながらも強い信念を貫きとおした偉人なのです。
 マンショは、西都市の都於郡に、当時宮崎を治めていた伊東一族の一人として生まれました。8歳の頃、不幸にして伊東家は今の大分県である豊後に落ち延びますが、そこで彼はキリスト教と出会い、洗礼を受けます。その後セミナリヨという学校に入学し、在学中に3人の少年たちとともにローマ法王に会いに行くことになります。歴史的に有名な天正遣欧使節のことです。そして帰国後は司祭になり宣教活動に身を捧げ、43歳で亡くなりました。
 彼がローマに向かって出発した頃の日本は、キリスト教がとても盛んでした。ところが、約8年かけた旅をようやく終えて帰国すると社会情勢はガラリと変わっており、キリスト教は迫害される時代になっていました。彼はそんな状況にあっても自分の信仰と信念を貫き、生き抜いたのです。
 こうした彼の精神の原動力は何だったのでしょうか?私は彼の少年時代のセミナリヨの学校生活にあったと思っています。当時のセミナリヨはとても厳しいものでした。朝4時半に起き、一日5時間にも及ぶラテン語授業をはじめ、国語や音楽などを徹底して学びました。そこで培った学習力と鍛錬が、彼を世界に羽ばたく人物に育て、時代の逆境に負けずに、自分の信じる道を精一杯駆け抜ける原動力になったのではないかと思います。
「少しのものに忠実であったから、多くのものを任せよう」(マタイ25・21)という聖書の言葉は、有名な「タラントンのたとえ話」に出てきます。今、私たちが学んでいることのひとつひとつは小さなことかもしれません。しかし、この小さなことに精一杯魂を込め、全身全霊で打ち込んで学ぶ姿勢が、実は人間が大きく飛躍する鍵となるのだと、伊東マンショの生涯は教えてくれているのではないでしょうか。
 今週末は、伊東マンショの追悼ミサや、学院の合唱部が参加する記念行事があります。興味のある人はぜひとも参加してみてください。

写真
写真は華道同好会 中武遙香さん(3−2)の作品

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