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MORNING TALK

朝の心

正義の人、高山右近

2017.02.09
朝の心

昨日(2月7日),大阪城ホールで一人の日本人がカトリック教会において聖人に次ぐ尊敬の対象である福者の位に上げられました。それは,戦国時代のキリシタン大名高山右近です。しかし,みなさんは,高山右近と聞いてもあまりピンとこないのではないでしょうか。

高山右近は,現在の大阪府豊能町高山に生まれ,12歳でキリスト教の洗礼を受けます。洗礼名はポルトガル語で「正義の人」を意味するユストで,右近は生涯その名の通り正義を貫いていきます。 21歳で高槻城の城主になると,戦国武将として織田信長や豊臣秀吉に重用されるほどの人物となっていきますが,同時に正義の人,人徳の人として,贅沢をせず,常に領民を心にかけ,病人を見舞い,孤児を助け,領民の葬儀では自ら棺を担ぐような謙虚で愛にあふれる領主でした。彼の生き方は多くの人々に感銘を与え,ほとんどの領民たちや右近と親交の深かった黒田官兵衛などの武将たちが次々と洗礼を受けていきました。そのような立派な人物だったので,秀吉もバテレン追放令を出したときには,その人柄と才能を惜しみ,千利休をつかわしてキリスト教を捨てるようにと説得を試みたほどでした。

 しかし,それでもキリスト教を捨てることを拒んだ高山右近は,信仰を守ることと引きかえに領地と財産のすべてを捨てて,放浪の身となります。一時は,金沢城主前田利家に保護されますが,徳川家康が1614年に禁教令を出したときには前田家に迷惑をかけまいと国外追放を受け入れ,フィリピンのマニラへと旅立ち,そこで病に倒れ63年の生涯を閉じました。このように義を貫いて生きた高山右近を,カトリック教会が福者の位に上げたのには,さまざまな混乱のあるこの時代にこそ,正義や信念を貫いてひたむきに生きる生き方が大切なのだというメッセージが込められているように思います。

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