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MORNING TALK

朝の心

メメント・モリ

2017.11.16
朝の心

私は、自分の誕生日あるいはその前後に墓参りに行くようにしています。自分のいのちがあるのは、先祖からつながれたいのちがあるからこそだと思うからです。

 一人の人間には二人の親がいます。それぞれの親には、さらに二人の親がいます。こうして全部をトータルすると、16億2000万もの先祖とつながる計算になるようです。もし先祖の誰かが次の代にいのちのバトンを渡さなかったなら、今の自分はいないことになるわけです。何万年もの長い歳月をかけて数奇な出会いを経てつなげられたこのいのちは、奇跡とも言えるでしょう。

 

 死も同じだと思います。死ぬ間際には、その人の生前のすべてが見えてしまいます。ある看護師さんからこんな話を聞きました。亡くなる前、「夜、電気を消さずにずっと手を握っていてほしい」と頼んできた患者さんがいたそうです。元気な頃は、やり手のビジネスマンだったといいます。仕事にばかり打ち込んで家族を顧みなかったため、人生の最後を迎えても見舞いにすら誰も来なかったのでした。

人間は生きてきたように死にます。死というのは「点」ではなく、それまで何十年と生きてきた「線」の延長上にあり、その生き方とつながっているのです。

 

 さて、カトリック教会では11月を「死者の月」として、亡くなった人々の永遠の安息を祈ると共に、自分の生き方を改めて問う機会としています。この「死者の月」に教会では、「メメント・モリ」というラテン語の言葉を伝統的に使っています。「死を想え」という意味です。生と死は合わせ鏡のようなもので、死を直視することは生きることを考えることにつながってくるからです。

今の社会の問題の一つは、「死」に対する実感が薄いことだという気がします。ゲームの世界や、戦争や飢餓で苦しんでいるどこか遠い外国の出来事だと思っている人もいることでしょう。しかし、人間は必ず死にます。私たちは個人としても、家族としても、そして社会としても、もっと死と向き合わなければなりません。

 日向学院では毎年11月に、慰霊祭という行事があります。毎日を忙しく過ごしているからこそ今週末の慰霊祭に心をこめてあずかり、「メメント・モリ」を黙想するようにしましょう。kokoro3.jpg

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