MENU

閉じる

閉じる

  • ホーム
  • 日向学院について
  • 朝の心
  • トイレットペーパーとしての価値
MORNING TALK

朝の心

トイレットペーパーとしての価値

2018.10.26
朝の心

トイレットペーパーの若者がいました。おろしたてで、丸々としたその若者は、「自分はみんなのために一生懸命に生きるんだ」と、希望にあふれておりました。そのうちたてつづけに人がやってきて、あっという間にやつれた老人になってしまいました。「なんということだ。一瞬のうちに老人になってしまった」。トイレットぺーパーは自分の人生の短さを嘆き悲しみます。が、自分に言い聞かせるようにこう言いました。「でも、役に立った長さはみんなと同じだ」。

 これは「価値のはかり方」のたとえです。寿命は時間ではかります。トイレットペーパーの場合は、使われる時間でしょう。このトイレットペーパーは、その時間こそ短かったものの、人の役に立った価値は同じだと考えることができます。他にもたとえば、1キロの金塊はお金にすれば大きな価値を持ちますが、漬物石にすれば道端にある1キロの石と同じ価値になります。つまり、ものの価値にはさまざまな物差しがあるということです。そしてもっと大切なことは、人はどのような価値を選んで生きていくかということです(佐藤雅彦『プチ哲学』参照)。

イタリアのアシジという町で一番の金持ちの子として生まれ、育ったアシジの聖フランシスコという聖人がいます。彼は若い時には、ずいぶん贅沢に遊び暮らしましたが、心を入れ替えてからは自分の持っているすべてを貧しい人びとに差し出し、自らも貧しい生活を送りながらキリストのために生涯を捧げます。この世の富、名声、権力は彼にとって価値のないものとなりました。ただキリストに従う生き方、貧しい人と共に貧しい生活を送る生き方にこそ価値があるとして生涯を送り、今もなお世界中に大きな影響を与え続けているのです。みなさんによく知られた人物では、マザー・テレサもこのアシジの聖フランシスコに憧れた一人で、修道女の道を選びました。今の教皇も教皇に選任された時、「フランシスコ」という名を付けました。

 私たちは人との関わりや、いろいろなことを体験する時、一面的、一方的な尺度で価値をはかっていないでしょうか。自分にとって本当に大切にすべき価値とはどんなものか、静かに考えてみましょう。

kokoro10.jpg

閉じる